《Channel Buoys (澪標)》 "I am quite consumed with longing. You must be prepared to leave Akashi. It cannot be otherwise. I promise you that you have not the smallest thing to worry about." The old man's face was a twisted shell once more, this time, most properly, with joy. Very elaborate preparations had been made for the fiftieth-day ceremonies, but had these envoys not come from Genji they would have been like brocades worn in the night. The nurse had found the Akashi lady to her liking, a pleasant companion in a gloomy world.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
京都の公卿・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)自筆「源氏物語」近衛基熙・旧所蔵
自筆「源氏物語」の「澪標(みおつくし)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。杵屋作三郎番組 可笑齋春翁画 文政頃刋。
原文は「源氏物語・澪標の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。稀少 1832年 天保3年 江戸時代 紙本 肉筆 書道 折帖 古書 古本 書 古美術 1911年 明治44年 親鸞聖人一代記図 まくり 絵画 日本画 セット。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。仙台領地名所和歌 冷泉爲久・中院通躬他詠 正徳四年仲春季八。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。☆E0211和本江戸期赤穂浪士忠臣蔵写本「元禄治乱鑑」25冊/古書古文書/手書き。現在の今上天皇と系譜がつながっている。@1939年 西安事変 検索:支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 張学良 共産党 満洲。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。和國諸職繪盡 零本 菱川師宣の名品中の名品 職人つくし。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。宗門人別改帳 宗旨人別御改帳 天保六年/羽州村山郡 山形県天童市。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。国立北平故宮博物院 宛委別藏 五服図解 影元至治本 線装本 唐本漢籍 検索⇒古籍 善本 木刻 木版 武英殿本 聚珍版 宋版 内府 彫版 支那 花箋。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。アンティーク、天文暦学書、星図、1653(承応2)年『四書引蒙略図解』中国歴史民俗学、論語孟子、地理、気候、楽器、軍旗、中国地図 Star map。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。市川白猿 追善數珠親玉 立川焉馬著 豐國・鳥居清長・尻焼猿人(酒井抱一)・菱川宗理・辰齋・葛飾北齋他画 市川團十郎。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。朮93)「瓶花口訣序」 景雲斎玉枝 巻物 古文書 秘伝書 約690㎝ 工芸品 複製 印刷。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。楠二代軍記 後編二巻合巻 梅望亭箕城作 楠軍功読記 草双紙。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。篠田仙果編 小林清親画『鹿児島戦争記』(4冊)明治10年杉浦朝次郎刊 明治時代和本 草双紙/絵草紙 彩色木版画 浮世絵 錦絵。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。法福寺合戦 信州時田合戦 信州桔梗原合戦 江戸中期写。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。印譜 中国 検索:印存封泥 印社 篆刻 金石文 石鼓文 篆印 古璽 支那 朱印 缶廬 鄧石如 呉譲之 趙之謙 羅振玉 呉昌碩 黄易 唐本漢籍 丁敬蒋仁。また、各巻ごとの書かれた年については不明。蘭唐 眼目全書。従って、応永五年とは、書き始めの年である。1931年 古建築 風景 支那 中華民国 満洲 西藏 西康 北平 泰山 佛塔 石窟 藏経洞 事変 敦煌 経石 金石 篆刻 国民党 生写真 石橋 西湖 佛塔。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。昭和13年 白蓮庵詩鈔 蓮井知城 蓮井露香 尾形楓峡 非売品 中川成秀 章齋山人 中川泉三 検索: 伊吹山房 線装本 和綴 漢詩 漢学者 書道家真作。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。増訂喪儀略。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。栗山碧嶺編『周甲遺念霧海軒書画譜』大正15年刊 橋本関雪 小堀鞆音 野田九浦 菊地契月 横山大観 鏑木清方 西沢笛畝ら 還暦記念書画帖。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。1933年 熱河風景 82図 承徳 避暑山荘 何應欽 黄郛 蒋介石 支那 中華民国 軍閥 閻錫山 馮玉祥 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 満州事変。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。長谷寺霊験記。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【希少古書】大正名家録 大正4年 1915年 二六社編纂局 古書【管理番号bycp本辞0830】。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。子だから双六。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。●極上和本YM2938●〈新板〉長田状 稀書往来物 仙台板 原装題簽付・美本。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。●極上和本YM2670●本朝茶経〈茶道歌〉(改装本)稀書往来物 竹村一玄 晴雲堂 稀書往来物。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。●極上和本YM2934●〈ひらがな両てん〉名字〈并〉仮名尽 江戸前期刊 稀書往来物 他に所蔵なし。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。芭蕉翁發句集 上下巻 五升菴蝶夢自序編 安永三年午年七月刋。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。日本の戦時財政と其の弾力性 昭15 日本外交協會秘密文書 大蔵大臣桜内幸雄 ガリ版 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。新版 盲安杖 鈴木正三 寛文四年三月吉日刋。
出品した「源氏物語」は澪標(みおつくし)の内容の要旨
「澪標の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。●極上和本YM2656●今川之抄・増補今川抄・今川諺解大成(明暦板1種・寛文板2種の3冊)稀書往来物。第14帖。神路の賑ひ 明治22年 初版 瀬戸清次郎 神宮教大坂本部版 14p。源氏の君が都へ戻った翌年の2月、朱雀帝が譲位し、冷泉帝が即位した。●極上和本YM2824●〈温故知新〉当流庸文章 稀書往来物 林山子 貞享3年・丸屋半兵衛ほか板。11歳になった冷泉帝は、年齢より大人びて源氏の生き写しのような美しさであった。0024525 貞観政要 全10巻揃 帯屋伊兵衛 文政6年 南紀学習館蔵版 紀州和歌山。源氏の君は内大臣となり、政界は源氏の君にとって追い風となる情勢であった。蘇軍の戦闘能力に就いて 現地報告 旧ソ連軍 昭14 日本外交協會秘密文書 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。親友の頭中将も、権中納言に昇進し、12歳になる娘を入内(帝の妃となるため後宮―妃たちの御殿―に入ること)させようと大切に育てていた。色葉字類抄・研究並びに索引・本文索引編/平安時代の古辞書。二条院で源氏の君の帰りを待ちわびていた紫の上への思いもあり、内大臣という立場も重なって、源氏の君は以前のように軽々しく恋人のもとへ出歩くこともできなくなっていた。■『日本神代文字』常陸鹿嶋神社寶庫藏。栗田尚雄寛政九年(西暦1797年)精緻筆寫。帙入題簽欠。阿比留艸文字で以呂波四十七字を筆寫した物。。その秋に、源氏の君は住吉にお礼参りのため参詣した。●極上和本YM2933●万字尽(大本・江戸前期)稀書往来物(木尽・花名・魚尽〈并貝尽〉・鳥尽・獣名・虫尽・青物・食物・菓子)。偶然にも明石の君も参詣に来ていたが、源氏の盛大な行列に気後れし、身分の差を感じながら遠くに源氏一行を眺めるだけであった。0019784 月瀬記勝 上下 斎藤拙堂 小型本 鹿田静七 明17。このことを知った源氏は、歌と慰めの言葉を送った。大坂新町細見之図 澪標。源氏は斎宮への未練を感じつつも、御息所との約束を守り斎宮を自らの養女に迎える。中華民国期 林徽因 信箋 1枚 検索: 詩人 写真 花箋 才女 唐本 漢籍 古文書 建築家 上海九華堂 木板刷 徐志摩 梁啓超 梁思成 北平 書家 水印。朱雀院から斎宮を妃にとの要望が来ていたが、源氏は藤壺の助言を得て、斎宮を冷泉帝へ入内させることにした。◎古文書・武蔵野国久良岐郡(横浜市南区上大岡)の千手院の明治~昭和初期の資料(年貢・帳簿・地券。
「澪標(みおつくし)」自筆原本の上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。つほのいしふみ 内題「似せ者の判」。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。尋常小学修身書 巻一(兒童用) 第二期国定教科書復刻版 昭和51年11月25日第九版発行。この言葉は、「澪標」の巻の原文には「みつからも、もて離れたまへるすちは、さらにあるましきことと思(おほ)す」とある。昭和七年・上海事変/歩三五補充隊/第一次上海事変/昭和7年満州事変から世界の目をそらすため日本の軍部が上海で起こした日中両軍の衝突事件。原文の意味は、明石から帰京した源氏の君は政界に復帰したのち、東宮が冷泉天皇に即位する。●極上和本YM2939●〈世話難字・頭書図尽〉曽我状絵抄(宝永5年)稀書往来物 他に所蔵なし 原装題簽付 美本。源氏の君は、冷泉天皇の父として太政天皇に即位する。四書 5冊(P145)。源氏の君は望外の喜びとし、ご自身としてもおよびもつかぬ帝の父としての位に至るなど、あり得べからざることと思うと同時に「心が安らかであれば、それまでの煩悩が消えていた」という意味である。0018142 諸名家戯文集 全 打越光亨・編輯 仮名垣魯文・閲。篆書印の詩文は、この原文と白楽天の心情を重ね合わせたものと推定される。●極上和本YM2929●大坂進状(宝暦4年以前)稀書往来物。紫式部が「澪標」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかるし、篆書印を押捺した人も白楽天の漢詩に精通していたことを伺い知ることができる。古書 全唐文 全20巻 大通書局 安値出品。詳細な理由は下記説明欄に記載(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。A_文政5年1822年改正再版/小本/袖珍本/四書字引【全】昔の漢字辞典。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
「澪標」の巻は英文で「Channel Buoys」と表記されます。本草薬名備考和訓鈔 七巻 初版初刻本。
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。支那写真大観・写真二百三十余収録・附最新全支鉄道図/昭和14年/北京天安門・北京宮殿・四川省重慶及漢口全景・四川省重慶及漢口全景。)
「自筆原本」
自筆右下の印2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。燕都枝折 續編か 慶紀逸 硯田舎臺簫 川柳 112-1-2。
自筆上部の「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。含章齋兵法書 築城心得・山城國并人數配・城取雜記/五賜七刑切紙/城取追加狭間圖式。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。0026360 月瀬記勝 乾坤 2冊 斉藤拙堂 明治14年 津藩。この漢詩は白楽天の「文集」の中の有名な一節です。里村紹巴自筆消息幅 能札宛 紹巴が旅先から北野神社の社僧で連歌師の能札に宛てた書状。
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。茶之湯三伝集・2冊/遠藤元閑/元禄八年/此書三伝集は千宗易利休居士古田織部正小堀遠州三代宗○伝来善之要なる物を頗る蒐集/江戸期和本。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。@1902年 衆議院議員人名録 岩本幾平誌 筆書 肉筆 117年前 検索: 写本 写経 手書 毛筆 古文書 当時物 本物保証 和本 和紙 在銘 落款 明治期。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。欽定前漢書 全12冊揃いセット(1-100巻) 光緒甲辰(=光緒30年/1904年) 武林竹簡斎三次石印 /唐本。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
原文には「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。●極上和本YM2884●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉A 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。通信区画便覧 第五巻 第5巻 広島区内(鳥取.島根.岡山.広島.山口.香川.愛媛県)。この漢詩は「白楽天の文集」に由来するものです。0026106 冠辞考 全10冊揃 賀茂真淵 秋田屋勘右衛門 寛政7年 伊丹屋善兵衛。》
《なをかく》・・・・てはえす(過)くすましきを、思ひた(立)ち給ね。高田町史 昭和8年 初版 高田町教育会 良書刊行会 和綴。
さりともうしろめたきこと(事)は、よも」と、か(書)いたま(給)へり。●極上和本YM2765●後千字文(宝暦6年)異種千字文 安井其名 林鳳谷 宝暦6年 明井仁右衛門板 稀書往来物。
入道、れい(例)のよろこ(喜)ひな(泣)きしてゐ(居)たり。北越雪譜 二編四巻 春・夏・秋・冬 鈴木牧之 著 京水百鶴 画。
かゝるおり(折)は、い(生)けるかひもつく(作)りいてたる、
ことわり(道理)なりとみ(見)ゆ。《古本》 えほん百科 全6巻 平凡社。こゝにも、
よろつ所せきまて思ひまう(設)けたりけれと、
此御つかひ(使)なくは、やみ(闇)のよ(夜)にてこそく(暮)れ
ぬへかりけれ。●極上和本YM2803●万宝女節用罌粟嚢 女節用家宝大成 女節用集罌粟嚢家宝大成 享保6年 山本序周 稀書往来物・辞書 節用集 原装題簽付・美本。めのと(乳母)も、この女きみ(君)のあはれに
思ふやうなるをかた(語)らひ人にて、よ(世)のなくさめに
しけり。拾遺 続江戸砂子 享保21年版 1,2,5巻計3冊 1巻程度特に悪し。おさおさをとらぬ人も、るい(類)にふれてむか(迎)へ
とりてあらすれと、こよなくおとろへたる
みや(宮)つか(仕)へ・・・・《なとの》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。0026279 官版 孝義録 26冊 堀野屋儀助 文化5年 孝行者 寄特者 忠義者 貞節者 農業出精。
《「源氏物語」澪標(みおつくし)の巻》
《東宮(皇太子)が冷泉天皇として即位、源氏の君内大臣に昇進》
《予言通り、源氏の君と明石の姫君の間に姫君が誕生》
《明石の姫君の乳母として桐壺院(前桐壺天皇)に仕えた宣旨の娘を乳母に選ぶ》
《未来の后となる明石の姫君の乳母の明石に到着、明石の人々喜ぶ》
《源氏の君、明石の姫君の五十日(いか)のお祝いに使者を遣わす》
《(源氏の君)「海松、いつとても変らず水中の岩陰に隠れているそれと
同じように、寂しい海辺に暮す姫君は、今日の五十(い)日(か)の祝いを、
またあやめの節句を常の日と変りなく迎えるのであろう。1857年 雲上明覧大全 検索:武鑑 武道 武具 装身具 馬具 兵器 武器 刀術 剣術 兵法 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓箭 弓道 支那 武士道 殺人剣。
心がそちらへ浮かれて行きそうなくらいです。●極上和本YM2855●本朝千字文〈傍注〉嘉永年間再刊 原装題簽付・美本 戸川後学注 稀書往来物。
やはりこのままでは》・・・・過されまいから、思いきって上京しなさい。小村雪岱装丁本特集 日本遊里史 上村行彰 小村雪岱 初版オリジナル函 昭和4年 春陽堂 売春 遊女 花魁 吉原 風俗 芸者 芸妓 遊郭 木版装。
いくらなんでも気づかわれるようなことは、けっしてさせまい」
とお書きになってある。華夷通商考 上下巻 長崎西川忠英如見子誌 元禄八年三月刋 寶永五年刋『増補 華夷通商考』全五册の傳本多かれども元禄八年初板傳本は稀。
明石入道(明石の姫君の祖父)は例によってうれし泣きをしている。●極上和本YM2932●〈新板〉大坂進・返状 元禄頃刊 藤田板 稀書往来物 美本。
このようなときは、生きているかいもあったと、べそをかいているのも、
無理からぬことと思われる。●極上和本YM2789●彼岸状*北山村・樋口伊之輔15歳書 稀書往来物 仏教思想に関する珍しい往来物。
ここ明石のほうでも、万事、所狭いくらいにお祝いの準備を
していたのだったが、このお使者がなかったら、まさに闇夜(やみよ)の
錦(にしき)よろしく、はりあいのない有様でその日も暮れてしまうところだったろう。大阪より満鮮北支へ/昭和11年/満州国・北支那/鬼が出るか蛇が出るか一行五56名/大阪財界を代表するあらゆる方面の人士を網羅した団体である。
乳母(めのと)も、この女君(明石の君)がやさしく申し分のないお方であるのを
話し相手として、日々の憂さを慰めているのだった。1938年/戦時/宣言/古文書 検索:支那/七七/事変/蒋介石/国民党/汪精衛/維新政府/満蒙/満州帝国/日中戦争/関東軍部/中支/武動/銃後/総督府。
この乳母にさしてひけをとらぬ身分の女房も、縁故をたどって
京から呼び迎えているが、それらはすっかり落ちぶれはてた
宮仕(みやづかえ)・・・・・《人(びと)などで、世を厭(いと)うて巌(いわお)の
中にでも隠れ住みたいと思っていたところ、たまたまここに落ち着いたという
程度の者たちであるが、この乳母(宣旨の姫君)はたいそうおおらかで高い気位を持している。【旧家蔵出し】★古書『漢詩講座 全5冊』昭和11年 臨江詩閣★(うぶだし/古文書/漢詩/和歌/和綴じ本/活版印刷/当時物)。》
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。新版 薬種名寄帳。
《Channel Buoys (澪標)》
"I am quite consumed with longing.
You must be prepared to leave Akashi.
It cannot be otherwise.
I promise you that you have not the smallest thing
to worry about."
The old man's face was a twisted shell once more,
this time, most properly, with joy.
Very elaborate preparations had been made for the
fiftieth-day ceremonies, but had these envoys not come from
Genji they would have been like brocades worn in the night.
The nurse had found the Akashi lady to her liking,
a pleasant companion in a gloomy world.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《航(澪標)》
我今身在京都,神往明石。●極上和本YM2678●女芸文三才図会(5冊揃・天保12年)3代目吉文字屋市兵衛 鳥飼酔雅 稀書往来物 ゆうパック着払い。此居,令人堪。支那/国有鉄道/貨物数及収入/1916-1923年 検索:硬票/中華民国/京漢/鉄路/京奉/北平/前門/軍隊/国民党/北伐軍/南軍/本物/満州事変/南満鉄。
望早作决心,来此相聚。西伯利亜出征記念写真帖/シベリア出征記念写真帖/青島三船写真館発行/大正8年/第七師団藤井中小閣下/ロシア革命に対する干渉戦争の一つ。此万事妥善,一切无。●極上和本YM2885●〈冠注〉理学津梁〈一名、新実語教〉B 手島堵庵 上河淇水 天明2年・淡海治郎吉ほか板 石門心学。”
明石道人照例喜而泣。画本虫撰 下巻 喜多川歌麿画 文政癸未(六年)八月刋。此机,感激太甚,
怪他要哭的。Y3E2-240603 レア[四書 1~4 まとめて4冊セット 学庸・論語・孟子 上下 浪華書肆 文栄堂 積玉圃 柳原喜兵衛]。他家里也正在祝五十朝,排十分体面。緑柳五ヶ國草紙 上下巻 草双紙 山亭秋信作 歌川國綱画。
没有京中使者看到,便似衣夜行,太可惜了。【一部写本の可能性あり】 論語徴 10冊セット(甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸) 物茂卿(荻生徂徠) 東都書林 松本新六・善兵衛 発行年不明。
那乳母看明石人切可,就做了的伴,
忘却了一切,在宅内笑度日。江戸期和本■本願寺聖人親鸞伝絵 (御伝絵畧解)■揃2帖 仏書。
前此明石道人也曾托人物色了几个身不低于乳母的女人来使。和本 箋註蒙求 上・中・下 3冊。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」澪標の巻の末尾(原本番号36-A)の押印。1810年 印譜 金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 金文 篆印 官印私印 将軍印 落款印 花押 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。北蝦夷余誌■松浦武四郎■多気志樓蔵板。冬姫は内大臣・通誠の養女。絵図(城郭図) 徳島県 阿波國 徳島城 (レターパックライト発送)。
冬姫は通称。時局に対する仏印態度 昭13 日本外交協會秘密文書 ガリ版 武器輸送 日本人放逐事件 旧日本軍大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。正式な名は伊達貞子。天安門の六月/夏之炎 検索:天安門事件/民主主義/学潮/六四学運/胡耀邦/鄧小平/李鵬/楊尚昆/軍隊戒厳令民運/真実/報道/生写真/趙紫陽/鎮圧。
上部には、「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。@漢文 古籍 文字蒙求 検索: 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装本 木版刷 木刻本 竹紙 筒子頁 水印 殿本 套印本 木板印 宣紙 白棉紙 清朝 内府。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。絵図 (城郭図) 兵庫県 但馬國 出石城(レターパックライト発送)。
篆書体右の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。骨董・龍門・拓本 :古書・書道 ID ㉓。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。淡路国名所図会・5冊/暁鐘成編・松川半山・浦川公左画/昭和9年/淡路国風景/天皇皇后陛下へ献上済・由良要塞司令部検閲済/和装本/図版豊富。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(澪標の巻)MRI 14―13B
自筆下二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「国宝・囲碁をする今上帝と薫の君」の資料
下記写真は、源氏の君の住吉神社への参詣。【旧家蔵出し】★古書『瓶華図 まとめて18枚』明治期 池坊専明 池坊専正★(検:うぶだし/古文書/生け花/華道/木版画/当時物)-2。娘の明石の姫君が将来の帝の后となるべく願いの願ほどきに参詣する
上記絵巻は、源氏の君の住吉参詣。●極上和本YM2914●〈首書〉今川絵抄〈御家流ひらがな〉元禄頃 本問屋喜右衛門板 稀書往来物。襖絵は俵屋宗達
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。●極上和本YM2812●新撰百人一首 西村茂樹 明治16年 西阪成一注 原装・美本 ゆうパック着払い。
「心寧累自息」《心寧(やす)ければ累(るい)も自(おのずか)ら息(や)む》という漢文の篆書印が押捺されている。古文書■本朝群書法帖 湖月抄 荒川武勇傅 冠註無門關 5冊 貝葉書院 古書 古和本 古文書 古美術 時代物 骨董品■。言葉の意味は、「心安らかならば煩(わずら)いも自然に消える」である。0024326 蝦夷日誌 3冊揃 松浦武四郎 日本古典全集 正宗敦夫編 昭和3-4年 非売品 文庫サイズ 正宗白鳥。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。●極上和本YM2935●〈新板〉国尽〈并〉名字尽(元禄頃刊)稀書往来物 原装題簽付 美本。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。古い掛軸 書 河田小龍 (箱なし) 未解読 内容不明。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。☆明治23年和装豆本・3冊揃☆辻子熊太郎(著)プール女学校教師・英国ボルトン氏(文辞)☆日本風俗☆。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。Y3D1-240607 レア[四書 新釈 大学 全 明治35年 久保天随 久保得二]支那。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。欧州政局に対する独伊枢軸の地位 昭14 日本外交協會秘密文書 ユダヤ人問題 ガリ版 旧日本軍 大日本帝國海軍太平洋戦争空軍海軍航空隊戦前NY。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。▲仏教本▲釋勝如▲戦前▲昭二▲古書▲貴重▲資料▲。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。利休茶湯秘傳書・利休茶湯書・2冊/片桐宗幽/利休七荘秘傳茶湯書/元禄十年/江戸期和本。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。歴史写真10冊/日支事変特集号/満州事変特集号/戦時資料/昭和7年。撮影後、展示のために再表装をしております。■歴史書 寛文3年 1663年 耕隠客書■林鵞峯 著 日本王代一覧 全七冊。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。●極上和本YM2676●〈新板〉女諸礼集(延宝3年・本屋清左衛門ほか板)*2丁落丁につき特価 ゆうパック着払い。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。A_津軽旧士族蔵出文政3古言梯/再考増補標註/楫取魚彦/今津屋辰三郎。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。防長名蹟・山口県写真帖/明治41年/写真師・麻生亮/山口県庁・歩兵第42連隊・豊栄神社・山口高等商業学校・東行庵・住吉神社・御幸松/和装本。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。●極上和本YM2671●便用謡(享保8年)稀書 謡曲 往来物 三浦久之丞庚妥 多彩な知識・教養を15曲の謡曲に綴った小謡本兼往来物。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。高崎連隊小史・明治40年2月19日・足尾派遣大隊詳報/復刻版・限定500部・非売品/中山 巳代蔵知事は第一師団長・閑院宮載仁親王に出兵を要請。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。和蘭語唐韻假字 オランダ語辞書。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。赤穂義士本博 銘々博 外博 非売品。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【和本】鉄斎先生書簡集 晩清荒神清澄寺内真言三寶宗宗務所 昭和39年12月。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。0026511 唐詩選国字解 全4冊(7巻)揃 服部南郭 小林新兵衛 文化11年。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。0017359 陰陽方位便覧 全3冊揃 森重勝 天保2 須原屋茂兵衛。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。0024512 復古夢物語 初編 乾坤 松村春輔著 一曜斎國輝画 文永堂 大嶋屋傳右衛門 明治16年。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。●極上和本YM2779●〈和訓〉近道子宝(初板本系早印・柳屋板)平井自休作 観樹堂松隠書 初板本は稀書往来物。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。福寿経綸録 容有子 天明元年 政治学国政論国学 検)仏教神道 本居宣長 戦前明治大正古書和書古文書写本古本OM。母は後水尾天皇皇女女二宮。赤穂義人録補正・乾坤・室鳩巣直清著・国枝惟熈補註・明治5年/赤穂四十七士伝・上下・青山延光伯卿・水戸の藩校弘道館教授・嘉永・和装本。実母は近衛家女房(瑤林院)。【流麗・稀少!江戸期木版画和書】唐歌撰図抄等検中国儒教儒学孔子張子容陳祐王烈漢詩侍合戦国武将軍武者絵入浮世絵本天皇仏教古書籍歌舞伎。幼名は多治丸。●極上和本YM2767●消息詞[為長卿消息詞]寺沢政辰 正徳4年 野田太兵衛ほか板 稀書往来物 美本。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。松風清社煎茶方式 乾・坤 煎茶道。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。蒙古襲来絵詞・4冊/大正5年/水野土佐守忠央の丹鶴叢書所収のものを基とし菊池容齋の控本を以て補修し帝室御物により校訂を加へ彩色を施せり。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。倭節用悉改袋増字 俟野通尚 纂補 西川祐信 遺筆 法橋西村中和 速水春暁斎 画 等 倭節用悉改袋。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。★絵銭譜 乾・坤 2冊★ワールドコインサービス 昭和41年★小泉健男。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。今川了俊愚息仲秋制詞之條々 商売往来の原作者流水軒観中筆。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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